壁に沿って生きる

6000人の高齢者を診察した著者は、「認知症とは『穏やかな最期を迎えるための適応現象』であり、人が晩年、認知症になるのは、『人体に備わった究極の終活機能』」(p123)と述べている。

勇気づけられる言葉だが、当事者(本人及び家族)にとっては様々な葛藤もあるだろう。

 

 

兄妹の行き着く先

この兄妹と共生する赤い貴族たち(抗日パルチザンので子孫)は北朝鮮という国が経済発達して豊かになることなど望んでいない。経済制裁が解除され自分たちが豊かに暮らせるだけの外貨を得ることだけしか考えていないのだ。彼らが自滅する未来が来るのだろうか。

 

 

 

 

あのとき私は

中学高校時代の歴史の授業は自分が知らない(体験したことのない)出来事を学んでいた。

この本に描かれた歴史は私が過ごしてきた30年だ。

28年前の阪神淡路大震災のあのとき、自分がどうしたのか、またテレビから流れてくる災害の状況を鮮明に憶えている。

今に続く歴史を追体験できた。

 

 

幸せとは本人の主観

高齢者ならぬ幸齢者(p24)だけでなく、老若男女に参考となるべきアドバイスも含まれている。幸せとは何かを考えてみる機会となった。それは自分がどう考えるかによって決まってくるのだ。

 

 

お金の価値

「お金は言葉も年齢も性別も超えて人と人をつなぐためにあるのかもしれない」(p141)と気付いたのは、著者がお金のやり取りがないカルト村で育ったからかもしれない。

お金について特に意識せずに生きてきた私には、新しい発見のみならず参考にしたい「お金との付き合い方」があった。

 

 

 

タイワニーズ

中華人民共和国とは50年たっても親友にはなれておらず…(略)二度に渡って台湾を見捨てた日本が今なお台湾と親友であり続けられる…」(p332)

今や日本の仮想敵国となった国に台湾有事を断念させる方法は見つかるのだろうか?

 

 

 

村の原点

著者の両親は農業主体の共同体で皆が幸せになる理想の暮らしを実現しようと村に入った。当初は規則も緩くて恋愛結婚も認められていたらしい。

しかし、村人が増えて大規模な共同体になると、人々を効率よく統制するために個人の自由が奪われる。恋愛禁止の「調整結婚」(p134)などというカルトの本性が現れる。

1970年代後半学生運動の衰退とともに、原理運動(旧統一協会)等の宗教団体が学内に侵食していくのをリアルタイムで見ていた私には他人事とは思えなかった。