親という家族

本のタイトルとなった作品だけでなく、『泣いてんじゃねえよ』、『縋ってんじゃねえよ』と3作品を集録。

高校時代から大学そして就職してからと、介護が必要な母親がいる家族との関わりを描いている。

両親と共に3人が一室で暮らす距離的近さだけでなく介護を理由に娘にべったり寄りかかる母親、その娘を当てにする父親との心理的な近さが、読者の私までも圧迫していった。

自宅を出た大学以降は、物理的距離が生まれたせいか3人の関係性に変化が生じたのが救いである。

母娘共に泣きたくなるような状況で、テレビから流れた小島よしお『でもそんなの関係ねえ!』の叫びが2人に体の中から出てくる笑いを呼び起こした。

テレビ制作会社に就職した主人公は、ヤングケアラーを疲弊する若者ではなく介護によって技術を得た強い強者として転換する企画を実現したいと思っている。

 

 

大陸の民

中国のサッカーは「チームプレーの乏しい全員FWサッカー」(p110)だそうだ。かつて「パスを回してばかり」と言われた日本とは異なる民のようだ。

昨今日本に移住する中国人に対する日本人の思いは複雑だが、古来より中国の混乱期には多くの中国人が渡日しているとのことだ。今もその流れに沿ったものなのだろうか。

 

 

母という弱点

金正恩の生母高容姫が大阪出身の在日コリアンであることは知っていた。だが、彼女の両親がそれぞれ複数回結婚し日本に住む正恩の血縁者が50人以上いるという事実(p6)には驚いた。

在日でありながら北朝鮮では女性として最高の地位(金正日の妻)を得たが、妻であるときと同じく「母」としてもその存在はタブーのまま隠され続けている。

私はどうしてもこの本に登場する日本に残った彼女の異母兄と対比してしまう。80代後半の彼は人生の荒波を乗り越えて今は経済的にも安定した生活を送っている。彼の子どもたちにとって、父はタブーな存在ではない。

 

 

 

ナゴンの矜持

高校の古典では『源氏物語』よりも『枕草子』のほうが取りかかりやすかった。

当時も読んでいて情景が目に浮かんでくるようだったので、コミックで読むとさらに分かりやすい。

清少納言が『枕草子』を書き始めたときは、既に中宮定子の人生が暗転し幾多の苦難や悲運に見舞われたが、そうしたことには一切触れなかった。

定子に仕えた女房としての矜持が彼女にこの作品を書かせたのかもしれない。

 

 

朝鮮族の日本語

迂闊なことに、中国朝鮮族と日本との関わりなど考えてもみなかった。

しかし、彼らが多く住む場所はかつての満洲国。日本が朝鮮半島を統治していた時代に移住を強いられた人びとだ。ここでは当時朝鮮半島と同様学校では日本語教育が行われた。

終戦後もその影響が残り、この本に登場する恩音は朝鮮族の日本語を教える中学校に通っていた。それが日本に行く要因の一つとなった。

彼女が日本語を学んだのは日本の歴史の負の部分につながるので苦味が残る。

ナグネとは旅人のことであり、支配、戦争、抑圧によって移動を余儀なくされた中国朝鮮族のことでもある。

それにしても、恩音のバイタリティと不撓不屈の精神は驚くばかりだ。

 

 

バブルの行方

これから先も中国政府は不動産バブルの崩壊を認めず有効な手立てを取らないであろう。しかし、中国の人びとは既に崩壊したことを知っているようだ。海外に逃れる人、寝そべり族となる若者などそれぞれの方法で対処している。

これも中国の有名な言葉「上有政策、下有対策」なのだろうか。ただし、上に政策はなさそうだが。

 

 

もう一人の幼なじみ

なっちゃんとノエチが、昔と変わらず幼なじみで団地暮らしが出来るのには、もう一人の幼なじみがいるからかもしれない。空ちゃんは小学校にあがって亡くなってしまったが、団地の中には空ちゃんとの思い出が詰まっていて、今も「ふたり」のそばにいるからだ。